東海道2015パート2①
盆休みで時間がとれたので、GWの東海道今頃のUPです。^^;
5月5日、前回の終着点からスタート!!
富田の町並み
富田小学校校門脇にある明治天皇御駐輦跡。明治元年(1868)旧東海道を明治天皇が京都から東京へ向かう際に、御休息された場所ということで、明治天皇が御休息の際、富田の焼き蛤を気に入られたのか、その後三重県への行幸の際には必ず立ち寄られ、4回にわたりこの場所で御休息され田都のことです。
常夜灯をすぎて、旧街道の落ち着いた町並み
しばらく歩いて突き当たりにある力石。寺の建設のために奉納された土台石を、村人達が力自慢を競い合い 持ち上げた石で、大き石は120kgもありさすがにそれを持ち上げた人はいなかったそうです。
米洗川手前にある常夜灯。大きいw
米洗川を渡り少し歩くと「かわらずの松」。東海道沿いは多くの松が植えられていたが虫の被害で残る松が少なくなっているが、このたまたま残った松を町名が川原須と言われていたことからこの名前が付けられ、大切に保存していきたいという思いだそうです。
東海道に時々見かける、歴史がありそうな建物で病院等が多いです。
境内に古墳が有るという志氏神社(左)と光明寺(右)をとおり
三ツ谷の一里塚跡(左)を過ぎ、三滝橋(右)を超えて江戸時代に四日市宿内へ入る。
三滝橋超えてすぐにある「なが餅」で有名な笹井屋。なんと創業は1550(天文19)年戦国時代!!なが餅とは細長く延ばした餡入り餅で、藤堂高虎が足軽時代に食し「武運ながき餅は幸先よし」 として気に入り有名になったそうです。折角なので試食^^。とても美味でした。
そのまま進むとかつての宿場の中心部の街の一角に「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」の道標がある。「すぐ」とは、まっすぐの意味だそうです。右の写真は今は失われてしまった旧道が明示されていました。こういう情報とても嬉しいです。
四日市宿にはかつての建築物は残っていない。そのまま四日市のアーケード街を抜け、赤堀駅を過ぎ赤堀の町並み。
左は鈴木薬局。膏薬の製薬を200年以上も営む旧家で、代々勘三郎の名を受け継ぎ、現在の当主鈴木と友造勘三郎さんは11代目。この建物は1852(嘉永5)年に建てられ、東海道沿いの古い建物の中でも一際がっちりつくられているそうです。膏薬を作った作業場や薬研など貴重な道具も保存されている。